"宗教も直観的にとらえようとするが、卜占のほうが、より偶然的であり連想的である。

実際に知ろうとしていることは、この1年を幸福に過ごせるか如何にか、健康でいられるか如何にか、農作の豊凶、漁の漁不漁、狩りや山仕事の首尾、商いの成否、予算の運不運、天候や災害、結婚の成否、生児の男女や今後の見当などで、目下行われている卜占の目的とするものには、きわめて世俗的、功利的なものが多い。

しかし現実には占いに頼る人も少なくない。

最初に、真実の探求である。

物事の真実を知りたいという欲求は、人間にとって普通なものである。

人はだれも未来を的確に知る事ができない。

占いの目的は、真実の探求、選定・選択、未来の予測の三つに要約することができよう。

災害や病気や死亡のきっかけを知ろうとする。

3番目には未来の予見である。

ただ、その手段方法が恣意(しい)的であり、偶然に左右されることが多かったために、より進んだ科学的な手段が考え出され、卜占による真実の探求は、たあいない遊びになってしまった。

そういう場合に、判断力のある人は、自分で自分の方向を決め、父母弟や先輩、知友の意見を聞く。

第二には選定・選択という目的がある。

人生や普段暮らしのなかで選定・選択を迫られる場面が数限りなくある。

失(う)せ物や盗品の所在、あるいは盗人の探求なども、卜占の目的の一つであった。

科学は、理論的に実証的に未来を予測する技術だという事ができようが、卜占は直観的にそれをとらえようとする。

復縁 電話相談