"ダイヤモンドの採掘は、痛むようには鉱床の近くの河原などの二次鉱床で母岩から流れ出した鉱石を探し出す方式が主流であった。
その母岩のある地域はキンバリーと名付けられ、母岩を粉砕して大量の岩石を処理し、その中からダイヤモンドの鉱石を探し出す方式が以後メインとなった。
1867年にオレンジ自由国と英領ケープ植民地との国境付近でダイヤモンドが発見され、その東隣にダイヤモンドの鉱床たる母岩があると地質学者が突き止めた事で方式が変わった。
このキンバリーの鉱床の中からデ・ビアス社が産声を上げ、ダイヤモンドの世の中市場を支配することとなった。
キンバリーの一番目の鉱床には、現在ビッグ・ホールと呼ばれる大穴が開いており、観光地となっている。
1967年には独立したばかりのボツワナ共和国北部のオラパ鉱山において大鉱床が発見され、その後も次々と鉱床が発見されたことでボツワナが世の中2位のダイヤモンド生産国となり、その利益によってボツワナは「アフリカの奇跡」と呼ばれる経済成長を遂げることに成功した。
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